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こちらで管理人 Carrot の自己紹介をしていきます!
Carrot のざっくりした現在の基本情報
住んでいるところ:西オーストラリア(WA)州のパースから車で4時間半ほど離れた小さな村。
それまでは5年半ビクトリア州都メルボルンのシティーど真ん中でシティーライフを満喫してました。
なぜこんなところに所に引っ越してきたかと言うと、自称日本人のオーストラリア人パートナーMaxの決断。
コロナでビジネスが大打撃。生まれ育ったWA州の海の近くで人生を仕切り直そう!
職業:現在は週2日、Max家族の経営する仕事を手伝っています。
今後もっと働きたいけれど、まずは車の運転を覚えないとどこにも行けない。
なのに運転が怖すぎてまだなにもできてません。
好きな食べ物:海老の天ぷら、日本のコンビニのシュークリーム、蓬莱551の豚まん、とんかつ、明太子、納豆、キノコ類、チキンパーマ(オーストラリアのパブでの定番料理)
苦手な食べ物:パクチー、オーストラリアのやたら甘すぎるスイーツ
目下最大の課題:「車の運転」と「虫恐怖症の克服」。この2つをクリアしないと田舎生活なんにもできない。
40代にして人生最大の試練?!
家族構成:パートナーのMaxと2人暮らし。いつか犬2匹を我が家に迎えたいです。
子ども時代:アメリカ大好き!英語大好き!
Carrotは大阪出身です。大阪北部にあるニュータウンの団地で育ちました。
大阪と言うとなんだかガヤガヤしたイメージを持たれる方が多いでしょうが、私はものごころのついたころから人見知りする大人しい子どもでした。
メルボルンに住んでいた頃、日本人に会うと「大阪人ぽくないですねー」と言われることが何度かありいつも内心困惑していました。
関西以外の人たちにとって大阪人をみんな吉本の芸人さんのように思ってそう…。
大阪にだって内気な人はいるんだよー
小学生時代は特に何事もなく平凡に過ごしていました。
中学1年生のある日、テレビでアメリカのボーイバンド New Kids On The Block の “Step by Step” という歌が流れ、全身に雷が落ちたような感覚に襲われました。
歌声、メロディー、ダンスと今まで日本の音楽になかった雰囲気に一目惚れというか一聴惚れ状態。
そこからアメリカの音楽やドラマを通して英語の勉強にドハマりしていきます。
CDの歌詞カードを見ながらひたすら知らない単語を調べたり、ノートの片隅に覚えた歌詞を書いてみたり。
アメリカへの愛は日を重ねるごとに大きくなり、
「キャロットさん、いつもアメリカの話ばかりしてついていけないわ…」と
何人かクラスメートが離れていきました(笑)
この頃はまだ子どもだったこともありアメリカの全てが輝いて見え、とにかくアメリカが大好きでした。
ところが両親は私の英語好きをあまり快く思っていませんでした。
英語のテストの成績がクラス1番や学年1番になっても、数学の点数が平均点以下だったために
「英語の勉強はするな。もっと数学を頑張れ。」
と一度も褒められることなく常に怒られていました。今思い出しても悲しいです。
英語に特化した公立の高校を受験したかったのですが、もちろん両親は反対。
結局とある女子高の普通科に進学します。
高校生になると周りの友だちは夏休みに外国でホームステイをしたり、1年間留学する子たちもいました。
ですが厳しい両親のもとで育った私はもちろん行かせてもらえませんでした。
まだインターネットが広まる前の時代だったので、少しでも外国との繋がりがほしかった私は中学生の頃からいろんな国にペンパルを作り、いつも誰かしらに英語の手紙を書いていました。
(20年経つ今でもニューヨークの人とは連絡を取り合っていて、過去数回会いました!)
大学進学。
高校の成績はそこそこ良かったため私は4年制の大学で勉強したかったのですが、両親からは高校付属の短大を勧められます。しかも家政科。
仕事よりも早く結婚&出産して落ち着いてほしかったのでしょう。
当時はネットもまだ一般的に普及しておらず、奨学金という選択肢があることすら知らなかった私は大学を諦め、付属の短大へ進むことにします。
家政科は絶対に嫌だったので、なんとかお願いして英語科へ行かせてもらいました。
初めてのアメリカ旅行!
あまり気乗りしない短大生活のスタートでしたが、講師にアメリカ人、イギリス人、カナダ人等何人か外国の先生がいて毎日生の英語に触れられたのは単純に嬉しかったです。
飲食店でバイトも始め、遂に夏休みに3週間のアメリカ旅行へ行くことに!
この時は両親に事前に相談をせず、飛行機のチケットや宿泊先のユースホステルの予約を全て終えてから事後報告しました。
さすがに両親も諦めたのか、意外にすんなり行かせてくれました。
ある友だちが高校時代1年間アリゾナに留学していて、その子とアメリカ10都市ほどをバックパッカーをしながら回りました。
初めて生で感じるアメリカの音、におい、空気…すべてが新鮮で更にアメリカが大好きに!
卒業旅行も同じ友だちプラス一部他の友だちとも合流して2週間サンタモニカやシカゴ、ボストンなどを回りました。
仕事も恋愛も低空飛行な20代。
時代は就職氷河期。短大卒業後は外国にたくさん支店のある某シティーホテルに就職。
英語が使えそうという単純な理由で選びました。
ところが配属されたのは日本料理レストラン。毎日着物でひたすら料理やドリンクを運びます。
お客さんはもちろん日本人ばかり。しかもお医者さんや社長さんなどの不倫カップルが多く、英語なんて全く使わない日々
そして先輩からの指導は怒鳴る、泣くまで説教、下手すると殴るが日常茶飯事の職場。
まだ「ブラック企業」「パワハラ」等の言葉が世に出てくるずっと前。
将来性が見えない上、ホテルあるあるでお給料もとても少なく結局1年半ほどで退職します。
その後例の友だちとアメリカへ行き、2ヶ月半かけて飛行機や電車を利用し20都市ほど旅行しました。
若い頃の一番楽しかった旅行です。
帰国後も不景気で仕事がなかなか見つからない、いわゆる「フリーター」が多くいた時代でした。
私もフリーターとして販売業をしたり、派遣でまた結局別のホテルで働いたり、アロマテラピーの資格を取ってマッサージサロンで働いてみたり。
どの職場も一年を通して3連休すら取れないような人手不足のところばかりなので数年経つとどうしても海外に行きたい病が出てきます。
行くには辞めるしか手段がないので数年ごとに退職→海外旅行→帰国→また仕事を探す、と20代はこのあまりよろしくない負のループにはまっていました。
仕事面だけではなく恋愛もイマイチな20代でした。
22歳の時に当時の職場のマネージャーと付き合い始めました。
場の盛り上げ役で頭の回転も速く、将来はアイルランドに住む夢を持っている人でした。
つきあい始めたものの、半年ほどすると彼は仕事を辞めます。
次は北海道に行って競走馬を育てる牧場で働きたい!と意気込み北海道へ行き遠距離恋愛に。
しかし住み込みの牧場オーナーに殴られることが続き、結局落馬してあばら骨にヒビが入ったのを機に数ヶ月で辞めて関西に戻ってきました。
ここから彼は定職に就くことはありませんでした。
たまに何か始めても体調が悪くなって辞めて家にこもる日々。
つきあい始めた頃のキラキラしていた彼を覚えていた私は
「きっといつかまた仕事で頑張れる日が来るはず!」と信じ続けます。
ところが3年程経っても彼は一人暮らしのマンションでボーッと時間をつぶす日々。
今度はサッカーコーチになりたいと言いつつも、どうしたらなれるのか全然調べようともしません。
今振り返るとこうなるずっと前に早く彼と別れば良かったのですが、すっかり情が湧いていて踏ん切りがつきませんでした。
また当時の私は極度に自分に自信がなかったため
「彼と別れたら一生彼氏ができない」と恐怖心があり、尚更別れることはできませんでした。
結局この彼とは9年半もつきあいました。
30歳を超えさすがに彼との将来はないと悟り、お別れしました。
同じく20代は留学やワーホリ等チャレンジしようと思えばできたのですが、このことも
「私なんてうまく行くわけがない…」と自己肯定感ゼロゆえ行動に移せず。
これらは子ども時代に親に褒めてもらえなかったことに一因があると感じています。
両親も同様子どもの時に褒めてもらったことがなかったそうなので、褒めるとはどういうことかわかるはずもありません。
今は私も大人になり両親のことは感謝しています。
彼らも当時は生活に子育てに必死だったのでしょう。
しかし親の子どもに対する言動は良くも悪くも大きく子どもに影響すると身をもって感じました。
オランダ人の彼氏と超遠距離恋愛。しかし…。
ある時友だちとフロリダのディズニーワールドに遊びに行った際、オランダ人とイギリス人の男性と仲良くなり2日ほど一緒に遊びました。
当時の私はまだ9年半の彼氏とつきあっている時だったので、その時は特に何もなく連絡先だけ交換して終わりました。
2011年に東日本大震災が起きた時、そのオランダくんがFacebookに「大丈夫??」と連絡してきてくれました。
その頃は9年半さんと別れた後だったので、それをきっかけにSkypeでいろいろと話し始めました。
何度か話すうちに「あれ…お互いに好きだよね。」と気づき、つきあうことに。
とは言え初めから日本とオランダの超遠距離恋愛です。
なんとか仕事の都合をつけ、3週間ほど彼に会いにオランダへ行きました。
そしてアムステルダムやベルギー、パリやチェコのプラハを一緒に旅行しました。
初めてのヨーロッパはアメリカと全く違った雰囲気で、まるで絵本から飛び出したような美しい街並みに一気に心奪われました。
そんなラブラブな中、しばらくするとオランダくんが告白してきました。
「僕実は鬱なんだよね…」
社交的な彼だったので初めは信じられず。うつの暗いイメージとかけ離れた人だったからです。
でもつきあいたてで彼が大好きだった私は「私が彼を支える!一緒に乗り越える!」と壮大かつ勘違いな決意を立てたのです。
結局、彼は双極性障害でハイテンションな時とうつな時を繰り返すタイプのようでした。
しかも自己愛性パーソナリティ障害もありました。
国からのサポートのおかげでほぼ金銭的負担もない状態で治療をスタートしましたが、しばらくすると治る見込みが低いと治療が中止になるほどの病状でした。
国が匙を投げるほど深刻な病を抱えた人との交際は素人の私にだんだん負担になってきました。
その後彼が日本に来てくれたり私がオランダに行ったりを繰り返しましたが、私がオランダへ3回目に行った時にこちらから別れました。
彼が自分の両親や親戚、友だちを事あるごとに責め立て、その怒りの矛先が私にも向きこのままだと「私が壊れる」と感じたからです。
この時既に30代半ば。「もう一生おひとりの人生かも知れないなー」と悟り始めました。
オランダくんはくずエピソードがいくつかあるので、いつか気が向いたらブログに書くかもしれません?!
転職をきっかけにMaxと運命の出会い!
オランダくんとつきあっていた頃に実は転職をしました。
縁あってあるオフィスワークにキャリアチェンジし、小さなコンサルティング会社で翻訳業務を始めました。
遂に仕事で英語を使うことができるようになりました。
そしてオランダくんと別れしばらく恋愛モードお休み中の時に、とあるプロジェクトを任されます。
クライアントの商品のオーストラリアへの販路開拓です。
ネットでいろいろ調べていると 「Max なにがし」さんのウェブサイトを見つけた私。
この人、商品に興味持ってくれそう
と思いダメ元でメールを送信。すると数日後に彼から返信が来ました。
実は来月仕事で日本に行きます。
商品に興味があるので工場を見学させてください。
こうしてクライアントさんと段取りして、来日したMaxを工場までアテンドしたのです。
その日は昼過ぎに会い工場2ヶ所に案内し、夜はクライアントの社長さん、Max、うちの会長と私の4人で会食しました。
会食後Maxをホテルまで送り、会長も帰って行ったので私も家に帰ろうとしたその時に突然のお誘いが。
よかったらそこのホテルのバーで一杯飲みませんか?
工場で見た商品をどう思ってるか本音を聞けるチャンス!
と完全にビジネスモードでOKしました。
一日ジャケットに革靴だったため「少し楽な格好に着替えてきます」とホテルの部屋に戻っていくMaxをホテルのロビーで待つこと数分。
このTシャツクールでしょー!
とドヤ顔で見せてきたのが どーもくん のTシャツ!笑
おもしろい人だなーと思いつつバーに行きます。
ホテルのバーなので落ち着いた雰囲気。
私は仕事の話を切り出すのですが、彼は軽くあしらい私を質問攻めにしてきました。
「将来の夢は?」「今後どんな仕事をしていきたい?」「なにをしてる時が好き?」「どんな人が好き?」
怒涛の私に関する質問だらけで面接を受けてる気分でした。
でもプライベートな話をするうちに
穏やかで優しそうだし、話が合うなー
と感じました。
結局終電の時間になり私はバーを出ることに。
Maxは翌日に関西から東京に向かい2日後にオーストラリアに帰国するとのことで、またメールで仕事の話を続けようと約束しお別れしました。
2ヶ月後に再会!3ヶ月後にメルボルンで同棲!
実は会食の後にLINEの交換をしていたので、次の日以降MaxからどんどんLINEが来ます。
表向きには数日おきにビジネスメールを送りあっていましたが(CC: 会長と社長)、毎日プライベートでLINEかSkypeで連絡しあうのが日常になってきました。
そして10日ほど経った頃に彼があることを伝えてきました。それは
実は離婚歴がありバツイチです。そして12歳と10歳の娘がいます。
お互いシリアスになる前にCarrotに伝えておきたかったんだ。
正直「まじか…」と思いました。
バツイチはまだしも、子持ちの人とのつき合いはさらさら考えてなかったからです。
むしろ論外。とはいえ、日に日に彼に惹かれていっているのも事実。
とりあえずもう少し様子を見てみることにしました。
そして「あれ…お互いに好きだよね。」といつしか両想いなことに気がつきました。
でもこのパターン、オランダくんの時と一緒やん。大丈夫かな…
と不安でもありました。
そんな中、2ヶ月後にまた彼が仕事で来日することに!
今回はあまり関西に立ち寄らず、東京、愛媛、福井を回る予定だったので、私も有給をなんとか使ってMaxと過ごすことにしました。
結果、超意気投合!こうなると行動派のMax、話が早いです。
僕は遠距離なんて無理だし、お互いを深く知るためにメルボルンで一緒に暮らそう!
うじうじしていた9年半さんや責任転嫁ばかりしていたオランダくんとはスピードが違いすぎます。
Maxがメルボルンに帰国後、私の両親とSkypeでドキドキの初対面。
スーツ姿で親に挨拶し「Carrotさんをしっかりお守ります」と約束してくれました。
ドタバタで仕事を辞めることになり自分でも信じられませんが、初めての出会いから3ヶ月後、日本での再会からちょうど1ヶ月後、私はメルボルン空港に降り立っていました。
Everything happens for a reason.
30代後半にして初めてオーストラリア大陸に降り立った私Carrot。
実はオーストラリアには一生来るつもりはありませんでした。
というのも20歳の頃、誰かが教えてくれたんです。
「知ってる?オーストラリアには手の平サイズのゴキブリがいるらしいよ!」
祖母から続く3世代で虫が超苦手な私は「そんな恐ろしい場所には何があっても行くまい!」と心に誓ったのでした。
正直オーストラリアに興味はなく、いつかニューヨークやカナダに住むのが長年の夢でした。
そんな私がオーストラリアに住むなんて、人生何が起こるかわかりません。
メルボルンと言う地名はもちろん聞いたことありましたがどこかわからず。
Maxと出会って初めてオーストラリアの地図をまじまじと見ました。
初めのうちはつきあいたてだったので観光ビザ(ETAS)で過ごしました。
Maxが4ヶ月日本で暮らすことになった時は一緒に日本に帰ったり、Maxの部下の結婚式に参列するためにマレーシアやシンガポールへ行きました。
アメリカで仕事があった時もついて行き、一緒にニュージーランドに旅行もしました。
そしてMaxの生まれ育った西オーストラリア州にも3回ほど旅行で訪れました。
そんなこんなでお互いへの愛と理解を深め合いパートナービザを申請しました。
ビザ申請後はなんら制限なく働くことができます。
ちょうどこのタイミングでMaxがあるビジネスを始めることになり、私はそこで経営マネージャーとして働くことになりました。
実はMaxは経営者でいろんなビジネスを手掛けています。
ふと振り返ると新卒のホテル時代から仕事面に恵まれず、いろんな仕事をやってみたもののどれも中途半端で自己嫌悪の塊だった私。
でもそんな仕事の経験でもこの職場でなんとか活かすことができて
今までの経験は全てMaxと出会うために起きていたのかな
と感じています。
気が付くと20代の頃より少しは自分のことに自信を持つことができるようになっていました。
中学生の頃から憧れだった海外での生活が実現したのは既に年齢を重ねてからでしたが、それが私にとって最良のタイミングだったのかなと思っています。
コロナをきっかけに西オーストラリアへ
2020年はコロナの影響でメルボルンは2度の長いロックダウンを経験しました。
その影響はMaxのビジネスにも大打撃、大きなお金が一気に無くなりました。
しかもこの数年仕事からのストレスで健康面にも支障が出ていたため、彼は生まれ故郷である西オーストラリア(WA)州への引っ越しを決意します。
この時まだ4月初旬。WA州に住むMaxの家族は彼の宣言を冗談だと思い受け流していました。
そんなみんなの期待(?)裏切り、2021年の2月に私たちはWA州に引っ越しました。
さすが有言実行の “doer” (実行する人)です。
大きな危機に瀕し、自暴自棄になったり私に当たったりすることなく常に冷静に前に進み続けるMaxを心の底から尊敬しています。
ビジネスに将来を見いだせなくなっていたMaxですが、私も数年働いて少しずつ精神的にキツくなってきていました。
職場に何人か日本人や他の国からのスタッフがいましたが、スタッフ同士でもめたり、責任感のない人がいたりで、その都度仲裁や調整をするのに疲れてきました。
「私がしっかりしないと」と常に気が張るようになり、オンオフの切り替えがうまくない性格も相まって、徐々に夜眠れなくなってきました。
なぜ淡々と目の前の仕事をこなしていけない人たちがいるのか理解に苦しみ、自分にマネージャーは合っていないような気がしてきていました。
何人もの人をまとめたり管理するよりも、1人や数人でこじんまりと黙々と働きたい…。
そんな時にロックダウンになり、結果WA州へ引っ越すことになったので、コロナはある意味で今後を見つめなおす良いタイミングだったと感じています。
特に学歴もスキルもない私がオーストラリアの田舎で何ができるのか今は見当もつきませんが、これから考えていきたいです。
ブログについて、これからのこと
メルボルンでの仕事も何もかもリセットしてWA州に越してきた私たち。
メルボルンではいろんな日本人がブログやYouTubeを通して現地の情報を発信しています。
私は毎日の生活に必死で、仕事がフルタイムで忙しすぎたこともあり当時はブログ等に一切興味がありませんでした。
そんな生活から一転、こちらでは今から本格的に新たな生活がスタートします。
運転を覚えなおし、なにか仕事を始め、庭づくり、いろんな地域の開拓等々。
私にとって生まれて初めての田舎暮らしで紆余曲折もあるかと思います。
でも田舎には田舎ならではの良さがきっとあるはず。
ほとんど日本人を見かけない、ここWA州農村部の日常を少しでもみなさんにお伝えできれば…と思い、ブログを始めることにしました。
都会暮らししかしてこなかった私が40代の人生半ばにして、どのようにカントリーライフに適応していくか、していけないかをどうぞご覧ください。
ちなみにですが2人でいろいろあって話し合った結果、私たちは子どもを作らないことに決めました。
悩みながらも決めた後は「きっと私は前世で子どもを10人くらい産んで育てたから、今回は子どもを産まない人生を選んだのだろう」と考えるようにしています。
2人の子どもはいませんが、Maxとは出会った頃から特に大きなケンカもなく、笑いのツボも一緒で今でも毎日お互い笑かし合いながら仲良く暮らしています。
最後に、私の名前Carrotの由来はある晩のMaxの寝言からです。
You’re… my… little carrot… (君は僕の小さなにんじん)
横で思わず吹き出す私。
確かににんじんが大好きでよく生でポリポリ食べてるけど!笑
次の日、本人に問いただしても全く覚えていなくて2人で大笑い。
こんな私CarrotがMaxを交えてお届けする当ブログサイト「オーストラリア日和」を今後ともどうぞよろしくお願いいたします!