今回は遂にアパートから退去し、メルボルンを離れる前日までのお話です。
コロナによる州政府の対策に振り回された今回の引っ越し。
前日まで本当に現地へ移動できるのか不安なまま当日を迎えました。
その様子を振り返っていきます。
その前にこちらが前回のおさらい記事です。
引っ越し前に家族でケアンズ旅行へ
荷造りの合間にクリスマスを挟み、さらに年末年始は家族旅行へケアンズへ行ってきました。
そのために荷造りは2週間ほどは中断に。
覚悟はしていましたが、コロナ禍の旅行は思ってた通りバタバタでした。
私たちがいたのはケアンズ近郊のパームコーブというリゾート地。
しかし急遽クイーンズランド州政府の要請で家族全員でPCR検査を受けることになり2日間ホテルから動けませんでした。
旅行の最後は数日ブリスベンに滞在予定でした。
ところが陽性者1名が出て突然3日間のロックダウンになったため、フライトを変更し旅行を早めにメルボルンに帰ってきました。
荷物の運び出しと家の大そうじ
旅行後はひたすら荷造り&運び出しの日々。
【詳しくはコチラ➡】オーストラリアで自力の引っ越し~引っ越し業者には頼らない!
何度か体力のある日はこの移動を一日2往復しました。
ある週末にはバンより大きめのトラックをレンタル。
Maxの友だち数人に手伝ってもらい大きな家電や家具一式をコンテナまで運びました。
その後も残りの小物をMaxの車で何度もコンテナに運び出し。
家具一式が家からなくなると同時に、主に私先導で家の隅々をそうじしていきます。
棚やクローゼット、壁、ドア、窓、換気扇、食洗機やオーブン等々をくまなく拭き、キッチンやバスルームのタイルを磨きまくりました。
普段気に留めていなくても、6-7年住んでると結構いろんなところが汚れているものですね。
業者によるカーペットクリーニング
運び出しもそうじも自力で頑張りましたが、カーペットのスチームクリーニングだけは業者に依頼しました。
最低限カーペットはプロに依頼するのがアパート退出の条件の一つだったからです。
家の中でも靴文化だからですかね。
カーペットクリーニングはアパート退出の前日に予約。
この時は私一人で対応しました。
インターホンが鳴ると「掃除用具を運ぶの手伝ってほしいので下まで来てください。」と。
いきなり客にお願いする?と心の中でウケながらアパートの下でおじさんと合流。
彼が車の中から大きな業務用のクリーナー用機械を降ろし、駐車場に車を停める間私は掃除機の見張り番。
道路脇で駐車料金を払い(前払い制です)、小走りでこちらに戻ってくるなり少し焦った様子の彼。
機械操作を間違えて40分程度しか停められないようで
「一緒に協力すれば時間内に終われる。さあ、あなたも手伝って!」と大きなクリーナー内にバケツでお湯を入れるのをお願いされました。
家に戻るなり7-8回重たいバケツを運びましたよ。
日本でお客さんに仕事を手伝わせるなんてご法度だけれど、こういう流れは海外ならではでおもしろい。
時間内にクリーニングを終え、おじさんは帰っていきました。
カーペットの清掃後も私は一人黙々と家のそうじの総仕上げ。
去るのがもったいないくらい家中ピカピカに。立つ鳥跡を濁さずですね。
ちなみにカーペットの汚れにはよくコレを使ってました。ボトルにブラシが付いていて使いやすいです!
最後にお隣さんと一杯
メルボルンも日本の都会同様、アパート内で誰かと会っても挨拶することはありませんでした。
私たちのアパートはシティーという利便性からアジア圏から来たワーキングホリデーや学生たちがシェアハウスとして住んでいたケースが多い場所。
そのため近所づきあいはほとんどなかったのです。
そんな中、向い隣に住む男性とMaxの年齢が近いこともあり、彼とは数年前に挨拶から始まり、会えば少しずつ立ち話をする間柄に。
彼にもアジア人のパートナーがいたり、その2人がコロナ前に日本へ旅行へ行ったり等々、次第に共通の話題が増えてきていました。
そして遂にアパート退出の前日にお隣さんカップルとシティーのとあるバーに飲みに行きました。
初めて向かい合ってお話し、4人で意気投合!
「引っ越し先にいつでも泊りに来てね!」
「メルボルンに帰ってきたらうちにおいで。料理を振舞うよ!」と約束。
いつか実現するといいなあ。
その後、仲良くしてるカップルと4人でチャイナタウンの老舗中華へ。
引っ越し先にはあまりアジア料理のお店がないため、外食の機会があればアジア系ばかり食べるようにしていました。
アパートの退出日
アパート退出の朝。
Maxは最後のギリギリまでクライアントとのミーティングがあり1時間ほど外出。
その間私は最後の買い物へ。MUJIとDaisoへ。
引っ越し先にはもちろん無印もダイソーもないので、これで当面見納め。寂しくなります…。
そして11時。
エージェントの人が来て、家中をくまなくチェック。
完ぺき!とってもキレイ!と反応いただきホッ。
ボンド(敷金)が丸々戻ってくると聞いたMaxも一安心。
鍵一式を返してアパートを後に。
Maxは7年ほど、私は5年半住んだ思い出いっぱいの家ともこれでお別れです。
アパートさん、どうもありがとう!
コンテナに最後の荷物を運びこむ
そのまま車でMax両親宅へ。
最終日まで使っていた簡易式ベッドや掃除機等、残りの荷物をコンテナに載せていきます。
コンテナは既に荷物でいっぱいです。
どれだけ荷物が多いの、Max!
しかし敷地内には5年前からMaxが所有している初代40フィートコンテナがありまして。
ぎゅうぎゅうに詰まっていると思いきや、数日前に開けてみると結構空きスペースがあることを発見。
もったいない!このスペースを有効活用しなければ!
アパート退去の数日前に半日かけてMax両親と私たち4人で荷物を半分ほど出し、テトリスのごとく隙間なく積みなおしていきました。
そしてアパートの退去後に最後の荷物を載せて載せて、こんな感じに。
左手前のスペースには数日前に購入したソファーが入る予定。
私たちがメルボルンを発ってから到着の予定です。
結局Maxのバイクと彼の荷物が少しコンテナに入りませんでした。
これらは次メルボルンに来た時に発送の手配をします。
(2人暮らしなのにコンテナ2台で足りないなんて…もう笑うしかないです。笑)
これにてコンテナーを施錠。
引っ越し先で無事に再会できますように!
おじさん宅へ
両親宅から車で30分ほどのところにMaxママの弟さん夫婦が住んでいます。
お別れの挨拶を兼ねて4人でお邪魔してきました。
何度見ても惚れ惚れするオシャレなおうち。
このおじさん夫妻の趣味は「家をデザインして建てること」。
更地を買い、家を設計し、数年住んだら手放して、また更地を買って、家をデザインして…を昔から続けられているそう。
売るたびに土地の価値は上がるのでそれで利益を得て、次の投資を始めるサイクル。
一般的な日本の考え「家は一生に一度の買い物」が漠然と心にあった私には衝撃的な趣味。
それがまた普通の家ではなく、雑誌に出てくるようなスタイリッシュを濃縮したようなおうちで実際に建築関係の賞を受賞した家もあるそう。
数年前に住んでいたおうちもとてもステキなお住まいでした。
私がオーストラリアに越してくる前、なにかの繋がりでその家に日本からの交換留学生を招いたことがあるそう。
みんな口をあんぐり、あまりの広さとオシャレさに驚いてたみたい。そうだよね。
あんなにステキな家を数年で売り払って建てたのが今回のおうち。
こちらもまた心がとろけるほど素敵。
2時間ほどお話して、再会を約束してお別れ。
その後Max両親とメルボルンに戻り、最後で家族団らんのディナー。
次の日にメルボルンを離れるなんていまだに実感が湧かない。不思議な気分。
でも少ししんみりしたり。またすぐに会えるよと慰めあって。
そして本当に明日行けるの??という疑問も。
コロナ対策に振り回される引っ越しスケジュール
話は少しさかのぼり引っ越しの1ヶ月前の昨年12月。
引っ越し先の西オーストラリア州(WA)は国内一コロナ対策の厳しい州です。
メルボルンやシドニーなど主に東部のエリアでコロナが広がっていたこともあり、WA州はいち早く昨年より国内で鎖国ならぬ鎖州状態。
他州からの人を長らく受け入れていませんでした。
他州に仕事や旅行で行っていたWA在住の人ですら自分の家に帰られないほどの徹底ぶり。
そんな中、メルボルンのあるビクトリア州以外に対して10月頃からWA州は州境を少しずつ開け始めました。
その頃、Maxのアイデアで
車を輸送しないといけないんだけど、せっかくだし車で2週間ほどかけていろんな場所を見ながら大陸横断してWAに行かない?
アデレードを過ぎて、砂漠も通り抜けるみたい。昔アメリカのルート66に憧れていた私は
(なにそれめっちゃ楽しそう)大陸横断したい!!!
(運転できないけどごめんね。Max運転好きでよかった…)
と2人で盛り上がってました。
ただ、コロナ禍でどうなるかわからない。
アデレードや砂漠横断をしてる最中にどこかで陽性者が出てWA州がまた突然州境を閉ざす可能性もある。
そして遂に12月中旬頃、条件付きでビクトリア州からWA州ヘ行くことができるようになりました。
私たちはメルボルンを発つのを1月中旬か下旬ごろに決定。
なので保険の意味も込めてとして2月上旬に飛行機のチケットも予約していました。
そして年末年始。
家族旅行でケアンズにいる頃、メルボルンで数ヶ月ぶりの市中感染、数人の陽性者が。
WA州は容赦なくビクトリア州(VIC)に対して再び州境を閉ざしました。
その時点でフライトは自動的にキャンセルに、引越し日は白紙となりました。
その後、幸いメルボルンで市中感染はなく、2週間ほどするとWA州はVIC州に対し条件付きで再び州境をオープン。
入境後に14日の自宅隔離が条件。
この速報が流れた瞬間に再度フライトを予約。結局元々チケットを予約していた日。
この時点で車で大陸横断の話は消え、隔離でもなんでもするから州境が開いている間に一日でも早くWA州に行こう、という考えにシフトしました。
フライトの3日前。
「パースで10ヶ月ぶりに陽性者が1人出た」というニュースが!
昼過ぎにWA州首相マーク・マクゴーワンが記者会見。当日18時からパース広域で5日間のロックダウンを発表。
家でできないや必要不可欠な仕事、必需品の買い物や病院関係、運動以外の外出は一切不可。
なぜこのタイミングで。
ロックダウンになるとまたフライトがキャンセルになるのではと危惧したものの、航空会社のアプリを見てもフライトは予定通り。
私たちの場合は旅行でWA州へ行くのではなく、自分たちの家へ行くから大丈夫そう…。
前日になってなお、直前でフライトがキャンセルになるんじゃないかとどきまぎしながらメルボルン最後の夜を迎えるのでした。
次回、いよいよメルボルンを離れ西オーストラリア州パースへ向かいます!
エピソード①:オーストラリアで引っ越し!メルボルンから西オーストラリア州へ
エピソード②:メルボルンで退去日の延長と家賃交渉!荷造りが終わらない!
エピソード③:オーストラリアで自力の引っ越し~引っ越し業者には頼らない!
エピソード④:メルボルンのアパートから退去!引越し準備はまだ終わらない?! (当ページ)